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「FAKE」 世界に取り残された夫婦(と猫)の愛の物語

3月13日にDVDで
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◎「FAKE」
(2016 日本 監督:森達也)
を見ました。
本作は、オウム真理教を内側から描いた「A」などの作品がある
ドキュメンタリー作家の森達也(当ブログで紹介しているのは「311」のみ)が
「ゴーストライター騒動」で世間から強烈なバッシングを喰らった
佐村河内守のその後に密着したドキュメンタリー映画。
当時のバッシングの様子はよく覚えていますが、凄かったですね。
障害者のフリをするという行為が
最も嫌悪される行為であることが
あの騒動の顛末を見て、よく分かりました。
(自らの偽善と正面から向かい合うことを強制される)
KIN-Gも当時は佐村河内のあまりのキャラの作り込み具合
冷ややかな目で見ていました。
しかしその後、ビッグコミックスペリオールで連載されている
聴覚障害を扱った吉本浩二のルポ漫画
「淋しいのはアンタだけじゃない」を読み、
TVで見た浅い知識だけでしか理解していなかったことを知りました。
本作にはTVというものを象徴するシーンがあります。
フジテレビのTVディレクターたちが佐村河内家を訪ね、
「佐村河内さんを笑いものにするような演出は絶対にしないので
 是非出演して下さい」と頼みます。
佐村河内はバラエティ番組というところで出演を断ります。
そして番組には新垣隆が出演することになり、
佐村河内のインチキ人間ぶりを強調し、
徹底的に事件をおちょくった内容の番組が流されます。
怒りと悲しみに震える佐村河内に森達也が説明します。
「TVを作っている人には、真実だとか嘘だとかは関係ないんです。
 出演している人を使って、どうやったら一番面白くなるか。
 それしかないんです」
と。
TVというものの恐ろしさがまざまざと現れた瞬間でした。
TVというか世間というか人間のおぞましさ。
面白い物語を求め、真実だとか嘘だとかは一切関係ない無責任な残酷さ。
ああいう風に佐村河内をバッシングすることが
一番面白い物語だとKIN-Gを含む日本中の人々が思った、
ヒステリックな狂気で貪る、正しさの快楽
今から思い返すと、なんと恐ろしい光景やったんやろ。
佐村河内守が嘘をついていたことは確か。
しかし何を持ってゴースト、何をもって共作とするかは難しいところ。
佐村河内守が感音性難聴であり被爆2世であることは事実。
(そして、「淋しいのはアンタだけじゃない」を読むと、
 聴覚障害に対する日本の障害者認定基準の問題点がよくわかる)
新垣隆も明らかな嘘をついているし、
みんなが少しずつ嘘をついているのです。
(この騒動のきっかけになった告発記事を描いたノンフィクション作家の
 神山典士は根っからのクソ野郎だとKIN-Gは思っている)
結果、面白い物語のみが残り、真相は永遠に葬られます
ですからKIN-Gは自分にとって最も面白い物語を信じます
本作で見る佐村河内守という人間は非常に面白いです。
やることがとにかく極端で、自分の好きなものに対する拘りと、
その他のものに対する面倒臭がり具合が異常。
日常の様子を見て色々なことが腑に落ちました。
佐村河内は新垣隆のことをシーケンサーとしか思っていなかったんでしょうね。
自分の手元に便利な者がいるから楽譜を学ぶ必要性を感じず、
ただただ抽象的な概念の妄想の海に溺れながら指示書を書き続けたのでしょう。
そして、最終的にはこの騒動のことなんてどうでもよくなりました。
本作は、世界に取り残され捨てられた夫婦(と猫)の愛の物語
KIN-Gは深い感動を覚えました。
佐村河内が本作のテーマソングである「REQUIEM」を演奏するシーンで
切なさが爆発して胸が苦しくなりました。
KIN-Gが音楽に求めているものもまた物語。
人間が紡ぐ物語に翻弄されながら
朧気な世界で生きるのが人間
なのかなぁ。

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